豊橋市石巻中出身の牧野恭子さんが「野球世界一」

東愛知新聞社 スポーツ 2008-09-10

第3回女子野球ワールドカップが8月下旬、愛媛県松山市で開かれ、日本が6戦全勝で優勝した。その日本チームの守りのかなめとして活躍したのが遊撃手の牧野恭子さん(30)。牧野さんは豊橋市石巻中時代からソフトボールの選手として活躍し、女子ソフトボールリーグ1部の日通工にも在籍した。挫折、帰郷、そして新たな挑戦でつかんだ「世界一」の座だ。
 牧野さんは6試合すべてに先発出場し、失策は一塁送球ミスのわずか1つだった。「肩は強くないんです」(牧野さん)というものの、軽快なフットワークと正確な送球で、打球をことごとくさばいた。
 「まったくダメでした」という打撃だが、最終のカナダ戦は0―2で迎えた4回裏にチーム初得点の適時打を放ち、大逆転(11―3で日本の勝ち)のお膳立てをした。
 牧野さんは石巻中時代から県内屈指の名遊撃手として知られ、名門の星城へ進学。同校でも鉄壁の守備ぶりをみせ、卒業後は女子ソフトボールリーグ2部の日通工に入った。
 しかし、そこで挫折を味わった。監督は牧野さんの力量を高く評価し、いきなり正遊撃手に抜擢した。「力のないまま、与えられたポジション。精神的に不安定なままプレーしました」と牧野さんは振り返る。
 皮肉なことにチームは勝ち進み、翌年は一部に昇格。そこで安藤選手(デンソー)ら超一流のプレーに出会ったことで劣等感はさらに深まった。3年間在籍して退部。失意を抱えて豊橋に帰った。
 しばらくはバイトなどしていたが数年後、軟式野球と出会ったことで運命は扉を開けた。
 話を聞きつけた日通工時代の先輩で、尚美大学(埼玉県)で野球部を創部しようとしていた新井純子さんが「一緒にやろう」と勧誘してくれた。迷った末に大学進学を決意、翌春28歳の新入生として野球部の門を叩いた。
 挫折から7年、苦境を経験しただけに、再び遊撃手としてプレーできることを喜び、無我夢中で野球に取り組んだ。その結果、素質は再び開花。わずか2年で日本を代表する遊撃手に登り詰めた。
 「硬式野球は本当に楽しい」と牧野さん。「なかなか自分の理想とするプレーができない。だから、挑戦のしがいがある」とストイックに語る。
 牧野さんは4姉妹の3番目で姉妹は、石巻中のすぐそばで喫茶店「和楽」を営む。姉妹の江里さん(43)浩子さん(41)嘉那子さん(24)は「恭ちゃんは強い意志で自分の新しい道を切り開いた。これからも思いっきり、野球に打ち込んでほしい」とエールを送っている。

東愛知新聞社のサイトへ

コメント

コメントしてください。ログイン()

最新マップ