疎開学童思い出語る 東京の同窓生が岡谷訪問

常陽新聞新社 地域 2010年8月22日

 太平洋戦争末期、戦火を逃れて東京都中野区から岡谷市本町の照光寺に集団疎開した向台国民学校の卒業生が22日、同市を訪れ、同寺など思い出の地を訪ね歩いたり、岡谷国民学校(現岡谷小学校)の同窓生と旧交を温めた。「いつも食事のことばかり考えていた」「夜は布団の中で泣いた」。戦後65年を経てもなお、親元を離れて耐え忍んだ日々を克明に語り合った。
 訪れたのは、当時3~6年生で照光寺に寄宿していた卒業生10人。戦後に「照向会」という会をつくり、岡谷国民学校で一緒だった岡谷市の仲間と交流を続けている。会として岡谷市を訪れたのは、岡谷小にイチョウを植樹した2005年以来、5年ぶり4回目。地元で当時6年生だった「七申(ななざる)会」の会員が中心となり、同窓生23人で歓迎した。
 一行は、岡谷小に植樹したイチョウの成長を確認した後、たきぎ取りをした学校裏の鳥居平やまびこ公園を再訪。照光寺では、物心両面の世話をしてくれた先々代の宮坂宥三住職と綱子夫人の墓前に参列した。「お母さんには散々お世話になって…」と感慨深く語る女性もいた。夜にはホテル岡谷で同窓会を開き、帰京後に完成した岡谷小の校歌を歌って交流した。
 照向会世話人で、当時6年生だった川本豊さん(77)=東京都中野区=は「高齢化でこれが最後と思っていたら歓待を受けた。日本は組織、団体の社会から無縁社会になったが、戦後65年を経てもきずなを保っていることがうれしい」とあいさつ。同年生で、七申会世話人の笠原剛志さん(77)=岡谷市成田町=は「このつながりを子や孫に引き継いでいきたい」と語り、再訪を願った。
 向台国民学校の集団疎開は1944(昭和19)年8月23日、第一陣の3年生以上238人が到着。千鳥園、照光寺、立正閣、昌福寺に寄宿し、小井川、田中、岡谷、川岸各国民学校に通学した。このうち照光寺には46人が身を寄せた。疎開生活は半年から1年余に及んだという。

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