和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰会は、熊楠が神社合祀(ごうし)による伐採から守った引作神社(三重県御浜町)の大クスの大枝で、テーブルを2台作った。経年の空洞化で折れた大枝の一部が御浜町から寄贈され、活用方法を検討していた。南方熊楠顕彰館(田辺市中屋敷町)に休館日の15日に搬入し、16日から一般公開する。
神社合祀の政策が進められていた1911年6月、牟婁新報新宮支局の記者が大クスの保護を呼び掛ける記事を掲載。その記事を読んだ熊楠が、国の官僚だった柳田国男と東京朝日新聞の杉村楚人冠に協力を求めたことで、大クスは守られた。大クスは三重県の天然記念物に指定されている。
2007年9月、根元から4・4メートルの所で5本に分かれた枝のうち、東に張り出した大枝が折れた。経年の空洞化が原因と考えられる。
昨年12月に大枝を管理、保管していた御浜町から末口部1枚(長径約2メートル、短径約1メートル、厚さ約1メートル)、元口部2枚(長径約1メートル、短径約80センチ、厚さ約75センチ)が寄贈された。
顕彰会は木の大きさを感じてもらおうと、着色や解体、過度な加工はせずに、素材を生かしたテーブルにすることを決めた。3枚のうち2枚を使ってテーブルにした。
樹皮をむいて磨いた。クスは虫が付きにくいといわれているため、防腐処理はしていない。大きさは変わっていない。
末口部で作った横長のテーブルは顕彰館1階の休憩コーナーに、元口部で作った円柱型のテーブルは2階の交流・閲覧室に設置する。
残りの元口部1枚は器具としての利用や展示はせずに、寄贈時の状態で保管し、今後利用方法を検討する。
中瀬喜陽館長は「熊楠は古木から来歴や昔の話を聞けると考えていた。多くの人にこのテーブルに触れてもらい、歴史や木の言葉を感じ取ってもらえれば。寄贈してくれた御浜町にあらためて感謝したい」と話している。
神社合祀 明治初めと末ごろに、政府が進めた神社の整理合併策。特に明治末ごろ、一町村一社を標準として多くの神社が整理統合され、森が伐採された。田辺市中辺路町の野中の一方杉や引作神社の大クスは熊楠の合祀反対運動で守られた。