太平洋戦争中にインドネシア・ニューギニア島北西のビアク島で戦死した旧狩川村(現庄内町狩川)出身の故大滝松雄さんが使っていた飯ごうのふたが8日、庄内町役場で遺族へ引き渡された。先月下旬、酒田市で開かれた写真展「ニューギニア戦線・玉砕の島」がきっかけとなり、遺品と遺族を引き合わせた。遺族は「本人もようやく古里に戻ってこられたと思っているのでは」と話している。
松雄さんは旧日本陸軍第師団(通称・雪部隊)の歩兵第222連隊砲兵第3中隊に所属。1945(昭和20)年、24歳で戦死した。ビアク島は太平洋戦争の激戦地のひとつで、1万人以上の兵士が命を失ったとされる。現在もニューギニア島西部だけで約3万人の日本兵の遺骨や遺品が風雨にさらされているという。
松雄さんの飯ごうのふたは、大勢の旧日本兵が立てこもったといわれるビアク島西側の洞窟付近で2000年夏、土地の所有者が見つけた。ニューギニア島で遺骨の収容作業に取り組んでいるNPO法人「太平洋戦史館」(岩手県)の岩渕宣輝理事長が同年、現地を訪れた際に譲り受け、同館で年近く保管していた。
薄茶色で一部が腐食しているものの、中央付近にはっきりと「大滝」と記されており、▽日本陸軍兵のもの▽ビアク島西側の洞窟周辺は222連隊の戦闘場所だった▽222連隊で「大滝」性は松雄さん1人だけ―などの理由から、松雄さんの所有物にほぼ間違いないという。
先月22―29日に酒田市総合文化センターで開かれた写真展で飯ごうのふたが展示され、25日に会場を訪れた阿部寿一市長が岩渕理事長から「旧狩川村の大滝松雄さんの持ち物ではないか。遺族が見つかったら引き渡したい」と要請を受けた。庄内町役場を通じて探したところ翌26日、同町狩川に住む遺族と連絡が取れ、展示会場で遺族が遺品と初めて“対面”した。
この日の引き渡し式には、松雄さんの弟の大滝正記さん(83)と、正記さんの長男の鉄雄さん(58)、岩渕理事長、写真展実行委員会の横山邦彦代表(兵庫県西宮市)、原田眞樹庄内町長が立ち会った。「飯ごうは国から支給されたものなので、公の立場として町長から引き渡してほしい」と岩渕理事長の提案で、原田町長から正記さんにふたが手渡された。鉄雄さんは「(松雄さんが)ようやく里帰りできたと感じている。多くの方が携わって実現できた。かかわった皆さんに感謝」と感慨深げに遺品を見つめていた。