高木美帆「銀」 日本女子個人で初 平昌五輪

十勝毎日新聞 スポーツ 2018年2月13日

 電光掲示板で2位を確認し、ガッツポーズを何度もした。メダルを取れたうれしさから、日の丸の旗を持って観客に手を振る高木美帆(23)の顔は晴れやかだった。優勝したイレイン・ブスト(オランダ)とのタイム差はわずか0秒20。「あまり差がないことが分かり、ゴール後に流し(ゆっくりと滑走し)ている間に、金メダルを逃した悔しさが湧いてきました」と笑った。ナショナルチーム(NT)のヨハン・デビットヘッドコーチ(38)と抱擁して流した涙は、喜びと、後からこみ上げてきた悔しさが入り交じったものとなった。

 求道者のようだ。札内中から帯南商高に入学してフォームを改造。バンクーバー五輪(2010年)に出場した滑りを一から見直し、片足に体重を乗せる一本足走法に取り組んだ。最初からうまくいくわけはないが「変えようと思っていろいろ考えるのは嫌いではない」と正面から向き合った。

 高校2年での全日本ジュニア合宿で低酸素トレーニングも経験。特殊なマスクを着用し通常より酸素量の摂取を減らした状態で固定された自転車をこぎ、酸素を少なくしたテントで就寝した。向上心の塊だった。

 それでも一度、大きな挫折を経験。ソチ五輪(14年)の日本代表選考会で落選して涙を流した。高校と大学で2学年先輩の甲斐(旧姓川口)愛莉さん(25)=東京都在住=は同じ選考会に出ていた。「リンクでぼうぜんとしていた。常に強くて自信があって格好良い美帆しか見ていなかったので驚いた」と振り返る。しかし、1週間後に帯広で行われたインカレ(日本学生氷上競技選手権大会)で落ち込んだ様子を全く見せない精神力に改めて感心したと言う。

 転機は、日本スケート連盟がメダルなしに終わったソチの後に発足させたNT。所属の垣根を越え、オランダから招いたヨハンヘッドコーチとの出会いだった。これまで取り組んだことのなかった自転車練習や、徹底したトレーニングの数値化。「(スケート強国の)オランダ人コーチと言うよりヨハンと言う人物に巡り会ったことが財産になったのだろう」。帯南商高で指導した東出俊一さん(61)=現・士幌町教委主幹=は語る。

 高校時代の成績は抜群に優秀。遠征中での移動時間を惜しんで勉強する努力もした。何事も妥協せず、高校卒業時には珠算、ワープロ、情報処理の1級を取得していた。「同じ時間を過ごすなら充実した方が良い」と話す高木美は、「日本の練習は世界一厳しい」と胸を張る理論派のコーチの下、毎年進化を続けた。「この4年間、つらかったり、逃げ出したい時もなかったわけではなかった。ソチに行けなかった悔しさや経験があったからこそ乗り越えられ有意義なものにできた」。最高峰の大会で、日本女子個人種目で史上最高成績を収めるに至った。(北雅貴)

<高木美帆(たかぎ・みほ)>
 1994年5月22日、幕別町生まれ。164センチ。札内北小、札内中、帯広南商業高校から日体大に進み、昨年3月に卒業して現在は大学助手。1000メートル、団体追い抜きにも出場する。五輪は中学生で出場した2010年バンクーバー大会以来2大会ぶり2度目。バンクーバー大会では1000メートル35位、1500メートル23位。

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