山下清展でよみがえる40年前の「あの日」

東愛知新聞社 文化 2008-11-10

豊橋市二川宿本陣資料館で開催中の「山下清の東海道五十三次」が、40年前の「あの日」を浮かび上がらせている。「あの日」とは、駅前の「ハイショップ名豊」の開店記念「山下清展」に山下さんが来豊し、会場でサイン会後に知的障害児施設の高山学園を訪れた日。学園の関係者は今展に特別出品されている、そのとき山下さんが描いた虫の絵を眺め感慨にふけっている。
 「あの日」は1968(昭和43)年5月30日。山下さんは午前中にハイショップ名豊でのサイン会に臨んだ後、豊橋市福祉課の仕立てた車で、当時飯村町(現在の総合老人ホーム「つつじ荘」の所在地)にあった高山学園にやってきた。
 山下さんを招いたのは、園長。当時、市福祉課の課長が園長を兼任しており、山下さん来豊の話を知った園長が「児童や保護者の励みになる」と関係者を通じて依頼したという。
 保護者の1人、岩崎昭男さん(79)=豊橋市三ノ輪町=は、その日を鮮明に覚えている。
 車から降りた山下さんは園舎に入る前、通りがかった三毛猫に近寄りをいきなり抱き上げた。「何をする気だろう?」。周囲が不安げに見守っている中、山下さんはネコの顔を正面からじっと見据えた。「長い時間、ほとんどまばたきせずにみていた。すごい集中力でした」という。
 岩崎さんがもう1つ驚いたのは山下さんが園の雰囲気へ自然に溶け込んだこと。「福祉関係者の中でも違和感を持つ人がかなりいた。だが、山下さんは園児の中に、すっと入って行きました」と振り返る。
 集会室では「山下清です」とぼそっとあいさつ、消え入りそうだった。それが、画用紙を前にすると自信に満ちた表情でマジックペンを手に取り、力強い線でトンボ、チョウ、ハチなどを一気呵成、次々と描いていった。「目にもとまらぬ速さ、そして次々と生まれ落ちる昆虫たち。誰もが息をのんでみていました」と、そのときの興奮をよみがえらせる。
 山下さんの描いた3枚は、その後学園が現在の市内多米町に移ってからはずっと玄関、廊下、園長室に掲げられてきた。
 峯島園長は、「この絵は、私たち職員にとって宝物です」と胸を張る。山下さんは千葉県の知的障害児入所施設「八幡学園」に入所後、園長らの勧めで貼り絵を覚え、やがて絵画創作の中に自己表現の場を求め、多くの人に愛される芸術家となった。
 岩崎さんも峯島園長も口をそろえ、「来訪と作品を通じて、学園に大きな足跡を残していただいた。感謝の念にたえません」と話している。

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